スピリチュアルなパワースポットとしての神倉神社

阿須賀神社の次に訪れたのは同じ新宮市内にある神倉神社。

熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地。

『古事記』、『日本書紀』によれば、神武天皇とその軍は東征中、熊野で熊または悪神の毒気により倒れた。

その時に高倉下(たかくらじ)という者が霊夢によって入手した神剣を神武天皇に献上した所神武天皇は覚醒し、これによって神武東征は成功。この剣を献上した高倉下と天照大神が祭神です。

 

熊野信仰が盛んになると、熊野三神が諸国を巡り阿須賀神社に鎮座する前に降臨した地として神倉神社が挙げられるようになり、とても重要な地位を占める神社となりました。

そして古くからスピリチュアルなパワースポットとして知られ、木村拓哉さんや福山雅治さんといった有名人も心の浄化やエネルギーチャージを求めて訪れます。この神社のエネルギーは、訪れる人々に深い安らぎと精神的な充足感をもたらすと言われています。参道を進むと、自然の美しさと静寂が調和した場所に辿り着き、心身ともにリラックスできる環境が整っています。

エネルギーの特徴として、特に注目されるのが「浄化の力」です。参拝者は神社の境内に足を踏み入れると、まるで心の重荷が取り払われるような感覚を味わうことができます。

神倉神社の最初の急な傾斜の階段

阿須賀神社からバスに乗って移動、バスに乗っている間は雨が降っていましたが、神社に到着すると
雨が止みました。

最初の鳥居からのかなり急勾配な538段の石段・・予め調べて知ってはいましたが、噂通りかなりな石段ですが、結構年配の方達も登っているのでびっくり。
覚悟を決めて登り始めましたが、とても危険な感じなのでゆっくりと注意しながら登りました。

仰ぎ見るような自然石の石段を登りつめた後に御神体である巨岩、ゴトビキ岩がそびえ立つ拝殿にたどり着きました。

神倉神社

事前に写真で見ていた通り、かなり迫力があります。

拝殿の方まで登ると、岩に手が触れられる距離だったのでパワーを感じたいと思い触ろうとしたのですが、突然「触る必要はない」というメッセージを感じ、触るのはやめて、そばでパワーを感じるだけにしました。

神倉神社のゴトビキ岩

後で調べてみると「ゴトビキ岩に触ってパワーを授かろう!」と書いてあるブログなどを拝見したので、触ってもいいものなのかもしれません。

こちらの拝殿から新宮市が一望できます。到着前まで雨が降っていたので重たい雲が少し見えますが、とても明るくなっていてとても清々しい眺望が楽しめました。

神倉神社からの眺め

こちらの拝殿にお参りして、ゴトビキ岩のパワーも感じられたので帰ろうと思ったのですが、

その時、なんと幸運にもガイドさん引率のグループが通りかかり、ゴトビキ岩の裏にもまた大きな岩があり
どうやらそこもお参りできる場所であることがわかり、グループが立ち去った後に
登ってみました。

神倉神社

なんと、そこにはとても神秘的な祭祀場がありました。
直感でゴトビキ岩は陽(男性)でこちらが陰(女性)を象徴するものだとわかります。
奥の神秘的な虹色の模様はまるで観音様のように見えました。

ここは本当に見逃さなくてよかった!

神倉神社の神秘的な祭祀場

あまり事前に調べずに来ていますが、全てがタイミングよく、まるで目に見えない存在に
導かれているのを感じました。

 

神倉神社の祭りと行事

神倉神社では年間を通じて数々の祭りや行事が開催され、地元の人々や訪れる観光客にとって重要な文化的・精神的な場となっています。特に注目すべきは、毎年2月6日に行われる『御燈祭』(おとうまつり)です。この祭りは火を使った勇壮な行事で、全国から多くの参加者と観光客が集まります。

『御燈祭』は、古くから続く伝統的な祭りで、神倉神社の象徴的な行事の一つです。祭りの前日には、地元の男性が白装束に身を包み、神倉山の急な石段を駆け上ります。頂上の神社にたどり着くと、そこから松明を手に再び石段を駆け下り、火の粉を散らしながら神聖な儀式を行います。この勇壮な光景は、見る者に強い印象を与え、火の浄化の意味を持つとされています。

また、『御燈祭』だけでなく、神倉神社では他にも様々な祭りや行事が行われています。春には桜の開花を祝う祭りがあり、夏には豊作を祈願するための祭りが催されます。秋には収穫を感謝する祭りがあり、冬には新年を迎えるための儀式が行われます。これらの祭りや行事を通じて、神倉神社は地域の文化や伝統を守り続け、信仰心を深める場としての役割を果たしています。

 

おまけ===

神倉神社の手前にあったのが出雲大社の新宮教会がありました。まさかここで出雲大社
主祭神は大国主大神とのこと。

神倉神社に併設されている出雲大社の新宮教会

(続く)